2017年4月9日日曜日

想定する読者

近況も兼ねまして。

最近ブログの更新が止まっていました。
忙しかったのもあるけど、それよりも、そもそも書く気があまり起きません。
関西に住んで新しいものも見ているし、本も読んでいるし、映画も見ていて、インプットはあるのにです。
それは、読者(=ほとんどは私の知り合い)と物理的に離れて、あまり会わなくなったからだと思う。
ブログとか、SNSに文章を書いて投稿をするのって、それを元に実際に知り合いとコミュニケーションをとるためのネタになるから、というのが大きいんですよね。
ブログを書いても、それをネタに話すことがほとんどなくなったので、自然と更新が減りました。

FBの更新が減ったのも同じ理由。
もっとも、FBはあまり頭を使わなくても更新できてしまうので、時々更新していましたが。

まあ、仕事も平常に戻ってきたので、明石で何かしら活動を始めたらまた投稿も増えるかとは思いますが。

2017年4月2日日曜日

人生が変わるときには大量の小便が出る? 騎士団長殺し(ネタバレあり)



「騎士団長殺し」を読んだ。



ネタバレあります。ご注意ください。



(性的な表現・暴力表現が)マイルドな、そしてわかりやすい「ねじ巻き鳥クロニクル」という印象でした。

これまでの村上春樹と違うと思ったのは、主人公が、この非日常的体験を経て、また日常に戻っていったところも描いているところ。
これまでの村上春樹は、非日常世界に行ったらそのまま夢うつつで終わっていた気がする(違うのもあるかもしれないが)けど、今回ははっきり終わっていた。

村上春樹の結論がこれ(つまり真っ当な職業的生活に戻っていくこと)だというのは意外でしたが。
ただ、考えてみれば、非日常をずっと生きたいというのは少々非成熟で浅はかなことのような気もする。
この体験を経て主人公が一皮むけたからといって、いきなり画家として大成するという方が安直で、村上春樹的にはリアリティがなかったのでしょう。

ただ、冒頭のシーンから考えると、また非日常的世界・試練は一度潜り抜ければ良いというわけではなく、その時その時で形を変えて何度も潜り抜ける必要がある(それに、そういうチャンスも何度もめぐってくる)ということなんでしょうね。

そのためには、常に賢く、「今が時だ」ってのを見逃さないように生きないといけない。
でも、右脳と左脳を目いっぱい働かせていたら、その時を見極めることができない。
毎日残業しまくって仕事に追われていたら、その時を見極めることができない。

だから、村上春樹の小説では、大体主人公が仕事を辞めてブラブラしているときに何かが起こる。これが一つの村上春樹なりのリアリティなんだろう。

ちなみに、今回も大量の小便をするシーンあり。
人生が変わるときには大量の小便が出るってのも村上春樹のリアリティなんでしょうか。

台湾旅行はほとんど「騎士団長殺し」を読むだけで終わってしまったけど、読み切れたので満足です。
久しぶりに良い読書だった。
やっぱり本は読まないとだめですね。