ここ3年くらい、コロナもあっておとなしめに過ごしてきましたが、今年はパターン変えていこうかなって思っています。
何をどう変えるかはいくつかアイデアがあるのですが、そのうちの一つは、そろそろハイキングを絡めない街歩き・旅行もしようということです。
ということで、先日、恵比寿でやっていた、星野道夫巡回写真展に行ってきました。
その感想を6点ほど。
1.大きい写真は行動喚起力がある
大きい写真には、行動喚起力があります。つまり、自分もこんなところに行ってみたい・こんな写真撮ってみたい、と思わせる、と言うことです。
写真展では、大きな写真が数多く展示されており、(一番大きいのは畳4枚分くらいあったんじゃないかな?)アラスカの大自然の迫力を感じることが出来ました。
星野氏の写真はネットでも見たことがありましたが、ネットで見るのとは全く別の体験ですね。
私もアラスカに行ってみたいと思ったし、また写真でも撮ろうかなとも思いました。
※ 余談ですが、若者の旅行離れって、一つはテレビ離れ(そして多くの時間をスマホを見て過ごすこと)が関係しているのではと思っています。
スマホの小さい画面って、行動喚起力が無いんですよね。どんなにきれいな写真をスマホで見ても、「そこに実際行きたい」と思わない。逆に、テレビの大画面で旅番組を見るとそこに行きたくなる。
テレビを見なくなって、スマホで情報を取るようになると、それに続く行動が促されず、そこで完結してしまう傾向にあると思います。
2.1つ1つの写真に使っているエネルギーがすごい
星野氏がどれだけのエネルギーを使っているかは想像しかできないのですが、
「これを撮るために相当シャッターチャンスを待つ必要あっただろうな」
「これを撮るために全身泥だらけになっただろうな」
「これを撮るために動物に襲われるリスク相当犯しているだろうな」
と想像できる写真がたくさんありました。
尚、動物との距離感に関しては、結局、クマの事故で亡くなるっていうことなのでやっぱり踏み込むことの代償は大きいのでしょう。
こういうのを見ると、私が山道から適当に撮っているだけの写真をいちいち公開するのがバカバカしい気持ちになります。
まあ、元々比べるようなものではないですが。
3.決定的瞬間が写っている
2とも関係しますが、クジラが水面から飛び出したところや、クマと鮭が対峙しているところなど、「決定的瞬間」がいっぱい収められていると感じました。
一年間のうち半分以上自然の中でテントの中で過ごしたという話が書いてありましたが、そうでないと、これだけの「決定的瞬間」には立ち会えないだろうなと思いました。
ちゃんと物理的に踏み込むこと・エネルギー的にコミットするのって重要なんですね。
4.バリエーションが豊か
写真のプロなので当然なのかもしれないですが、写真のバリエーション豊かです。
野生動物、植物、山岳・氷河を含むLandscape、人物などなど、色々なテーマがあります。
アラスカの自然写真家という印象でしたが、それだけではないですね。
自然写真も迫力がありましたが、アザラシを解体して血が滴っている写真や、クジラの骨をオブジェにした海外の写真も印象的でした。
5.テーマを変えることを恐れない
4と関係しますが、最初にアラスカ後に踏み込んでから、テーマがどんどん変わっていっています。
最初は野生動物を中心に撮っていたところ、徐々にアラスカに住む人を撮影対象にしていき、その後はアラスカだけでなくロシアにも渡ったりと、テーマがどんどん変わっていきます。
アラスカの野生動物で認められたら、もうその定評のある領域で勝負したくなるのが人情とも思えますが、周囲から押し付けられた期待を振り切り、自分の興味でテーマをどんどん変えていくことを恐れない、ということの重要性を感じました。
(4・5に関しては、1冊の本や写真集だけではわからない、星野氏の生涯を時系列で並べた展示ならではの気づきだったので、わざわざ東京に出向いたかいがありました)
6.機材は現代のデジタル一眼のほうが上
写真の解像感に関しては、現代のデジカメのほうが完全に上だと思います。
星野氏は1996年に亡くなっており、当時プロの使用に耐えうるデジカメなどは無かったので、フィルムで全部取っていたと思われます(展示会でもフィルムの話しか出てこなかった)。
家に帰って、手元にある、他の自然写真家の作品とも見くらべてみましたが、やっぱり解像感は最近の写真で取られたもののほうが断然上です。
現代の写真のほうが、動物の毛並みとかよりくっきり写っています。
星野氏は、あまりテクニック的なものも駆使している様子は無く、自然に入り込んで初めて見たものを(当時ほかの人があまり見たことないものを)感動のままにちゃんと撮っている、という印象です。
現代の自然写真家は、もっと切り取り方とか、構図とかに工夫を凝らしている印象です。
現代の写真家は、先人と同じ表現ではなく、さらにそこから先の何か新しい工夫を追加しないと商売にはならないのでしょうね。