パリオリンピックを見た時書きかけてそのままになっていた記事を何とか書き切りました。
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私は学生時代水泳をしていたのだが、福岡世界水泳2023や、パリオリンピック競泳2024を見て、水泳って「自分を機械だと見なす世界観」のスポーツだな、ということを思い出した。
<機械/問題解決>
水泳は、競技特性的に自分を機械にする発想になりがち。
コントロールされた環境下での競技だし(公認大会では、距離だけでなく水温なんかも決められている)、勝負の相手がいるとはいえ相互作用は無い。基本的には自己ベストを出すことが好結果につながる(そもそも、間に人がいれば一つ以上先のコースがどうなっているか、ほぼわかりもしない)。
自分なりに改善ポイントを出して黙々と改善を実行するというのは、自分のメンタリティにフィットしたので、部活動として水泳をする分には多分良かったんだろう。
その後、この発想で身につけられたこともある(英語とか)。
しかし世界観としては一面的だった。
もっと別の世界観のスポーツもしておけば良かった。
それに、実社会は環境がコントロールされていないし、他者との相互作用もあるので、自分を機械にしたところでうまくいくことばかりでは無い。
実社会では、「勝負所を見極めて資源を集中投入する(※1)」「環境の外に飛び出す」みたいな発想が必要なシーンもあるが、人間を機械にする世界観だと、そう言う発想が出にくい。
大人になって、仕事などをする中で、ある程度そういうのは改善されてきたとは思う。
しかし思い返すと、旅について、ごく当然のようにPDCAサイクルを回していた。
仕事で身につけたスキルなので当然のように使っていたが、考えてみるとこのPDCAサイクルというのも機械化に近い発想だった。自分のメンタリティと親和性があるから自然と使いたくなるのかも。
これをやると、当然旅についてレベルアップはしてくるが、窮屈感も出てくる。人間は機械ではないんで。
PDCAサイクルは、頭の使い方としては、問題解決志向。
今の延長線上にあるものを取るための頭の使い方(意識の向け方、考え方)。
整えるための頭の使い方。
そうでなくて、別のベクトル(体勢が崩れながらでも、チャンス(※2)にフォーカスし掴む≒勝負所を見極めて資源を投入する、みたいな)の頭の使い方・アクションも意識的に増やしても良さそう。
ここ数年、面白かったのは、
・ 旅
・ 山
・ 料理
・ 紙に絵を描く
などだった。
最初は、「アナログなものが面白い」と捉えていた。
つまり、情報システムの仕事をしているから、趣味としてはデジタル要素がなく、手触りがあったり、五感に訴えることの方がバランスが良いのだろうと。
これも的外れでは無いと思うが、加えて最近思ったのは、自分を機械化しても対応できないこと、自分の外側にランダム要素・予想外要素・ワンタイム要素がある(外界が固定的でないので、チャンスを掴む必要がある)方が面白いのではないか、ということ。
<得意技と現実認識>
「ハンマーしか持っていないと全てが釘に見える」と言うことわざがあるように、問題解決を得意技としていると、世の中が全て解決すべき問題に見えてしまう。PDCAを得意技としていると、自分及びその生活がずっと改善の対象になってしまう。
こう考えると、勝負を得意とすれば、自然と勝負所も見えてきそうではある。しかし、突然勝負だけ得意になろうというのも無理があるので、少しずつ鍛えていくしか無いかな。
ひとまず、意識の向け方だけでも変えて、今後はもう少しチャンス・勝負所への注意を振り向けたい。
アクション案としては、勝負要素のある趣味を始める、みたいなのが一応あるけど、そういうことではなく、もっとダイレクトに人生の勝負に資源を投入したい。
しかし、何をチャンスを見なすか、何を勝負所と捉えるかは、センスが問われそうな難しい問題ですね。
※1)
水泳は基本的に、勝負所で資源を全投入はしない。200mのレースで、100m~150mの区間一点賭けするなんてのは普通はうまくいかない。
ある程度ペースをうまく配分することが良い結果につながる。
※2)
「チャンス」ではなく、「機会」と言った方がしっくりくるところもあるのだが、「機械」と「機会」が両方出てきてややこしいので、ここでは「チャンス」と言っておくことにします。
なお、チャンスにフォーカスする重要性は、経営学ではよく言われることだが、コロナなどの有事をビジネスチャンスととらえて混乱を加速させそうなムーブをしている経営者を見ると「これをマネしたくはないな」と拒否感を持ってしまう。もう少し行儀よくチャンスを掴みたいが、そんなことを思ってしまう時点でセンスがないのかもしれないが。
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