2025年7月12日土曜日

【ポーランドD6-1:ワルシャワ】 記念碑だらけの特殊な街

ペリメニ
バターの風味

ペリメニ

集荷場

集荷場

集荷場
入れ替わり立ち代わりツアーの団体が来る

ミラ18


※ポーランドD6が長くなってきたので2つに分けました


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ワルシャワ2日目の感想を書いていきます。


<ノイズを拾わない>

一昨日くらいから舌が痛い。肌荒れもひどい。

今日で、日本を出てから18日目。長旅するとこのくらいの軽い異変はいくらでもある。旅先によって気候も食べ物も違うから、微妙に出方は異なるが。

しかし、街歩きには特に支障は無い。幸い体力的には全然バッファはあるので、あまり気にしないことに。

昨年の旅では、何でもかんでも改善しようと思った結果、違和感に対する感度を上げすぎてノイズを拾いすぎていた。バイアスには対応する必要あるが、ノイズを拾ってはいけない。と思い、今回は意識的に、部分的に多少感度を落としている。


<思考が飽和状態>

ここ2~3日間はアウシュビッツの感想をまとめることに意識を持って行かれていたのもあって、思考が飽和状態でいまいち目の前の物事にフォーカス出来ていなかった。しかし残りの5日間、また見学に集中していくか。

(旅行記の時系列が入り乱れてしまったが、この日の3日前にアウシュビッツに行った)


<ペリメニ>

部屋で多少作業した後外へ。

ペリメニ屋に入った。

正直私にはピエロギとの違いが分からないが、ポーランドでわざわざペリメニと呼んでいる以上、何か違うんだろう。

タリン、クラクフ、ワルシャワあたり、ペリメニ屋、ピエロギ屋が多い。


大衆食堂とファーストフードの間くらいのレベル感の店。メニューはペリメニとスープだけ。

ペリメニ8個セット。タラ4個、マッシュルーム4個、計8個で1,300円。ワルシャワ中央駅直結という立地の分、ワルシャワの中ではちょっと高めだと思う。


やはりここも、

・ サワークリームのソース(全体にかかっているのでは無く好みでつける)

・ 玉ねぎドレッシング味のソース

・ 全体的に油(バター?)がかかっている

という味付けで、これまで食べたピエロギ or ペリメニと割と特徴が共通している。

あとはディルとパクチーが乗ってる。


Cod fishはどのような状態で来るのだろうと気になっていたが、つみれだった。

夫婦でやっていると思われる店で、とても感じの良い人たちだった。


<集荷場>

中央駅からトラムで移動。

今日の主目的地はユダヤ人博物館なのだが、トラムの駅の場所の関係上、まず「集荷場」に来た。

ワルシャワゲットーの出入り口として機能していた場所らしい。

当時の物が何か残っているわけではなく、今は記念碑があるのみ。

「この苦しみを忘れるな」的なメッセージが、やはりヘブライ語とポーランド語で書かれている。

修学旅行生と思われる団体が溜まっており、写真はあまり撮らなかった(アウシュビッツのところでも書いたが、この感じは、ポーランドの負の遺産系はどこも同じ。ポーランド全体的にクリーンな写真は諦め、写真は記録用にQuickに撮ることに徹したところが多い)。

少し残念ではあるが、できるだけ自分の目で見て色々学んでいくことにした。その方がいい。もし広島や沖縄などで西洋人がクリーンな写真を撮るためにずっと張っていたらなんか違和感あるし。もっともそんな人見たことと無いけど。


<修学旅行生だらけの街>

ワルシャワは修学旅行生だらけの街。

私がこれまで見た中では、京都、ベルリンに匹敵する。街ではなくスポットで言うと、広島の平和記念資料館とか先日のアウシュビッツ博物館も多いが。


<記念碑だらけの街>

ワルシャワを歩いてみると、街中に戦争関係の記念碑がかなりたくさんあることが分かる。

基本的には街全体がナチスに破壊されているから、歴史的建築物などの「そのもの」はほとんど無い。「○○の跡地」「○○の記念碑」が、街中に点在している。


ワルシャワ中心部を取り囲むワルシャワゲットー関連の碑だけでも相当ある。そのほかにも、ワルシャワ蜂起関連、ロシアに強制連行されたポーランド人の碑など。

そういう歴史を学ぶツアーもたくさんあるようで、集荷場に7~8分くらいいただけでも修学旅行の他に、高齢者中心の大人のツアーも次々に入ってきた。


あと、英語の案内がなくて、ポーランド語とヘブライ語だけしか案内がないところもままある。なので、Google翻訳などでバッテリーを結構使う。まさにこういうことがあるだろうと思って、モバイルバッテリーを日本から持ってきていたのだが、ホテルに置いてきてしまった。まったく。


<ミラ18>

さらにユダヤ人博物館に歩いて行く途中にミラ18という遺跡があった。入場無料。

ここはワルシャワの中では珍しく、過去の遺物「そのもの」の展示。

ワルシャワゲットー蜂起の際のゲットー住民側の司令部になった地下壕の跡地らしい。地下壕の壁が残っていて、「ここに司令部だった」みたいな簡易的な説明がある。

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