2016年3月13日日曜日
本は買ったらすぐカフェで読め
本はタイミング。
読書をする意味の一つは、頭の中の風通しをよくすること。
仕事でも、人生でも、恋愛でも、何かに煮詰まったときに本を読むと、風通しがよくなる。
本を読むと、現状をシンプルに・軽くとらえることができたり、「これは考えなくて良い」ってのに気づいたりするから。
風通しをよくするための読書という意味では、その時に応じた、タイムリーな内容の本を読む方が価値が高い。そうなると、その時その時、書店(図書館とかでも良いけど)で見かけてぴんとくる本を買うというのはやっぱり良い。
積読ってのは、知識をためて行くにはよいかもしれないけど、そうじゃない本は買ってほったらかしていると、自分の中での旬を失う。
「少し前に読みたかったが今となっては旬を失っている」という本を読むのは、脂ののっていない刺身、もしくは若干古い刺身を食べるのと同じ。
新しい刺身があるならそっちを食べる方がいい。
ということで、頭の中の風通しをよくする目的で本を読むなら、書店で現物を見て買って即読むのが一番コストパフォーマンスが良い読書の仕方です。
買ったら、家に持って帰る前に、いきなりカフェに入って読みましょう。
それが一番身になります。
知識をためていくための読書なら、積読上等だと思いますけど。
競争戦略は後付け?
「競争戦略」で思い出したこと。
私は中学生の時、水泳少年(青年?)で、週6日くらいは近所のスイミングスクールで練習していました。
そのかいもあり、中学3年生の時、市の大会で競泳200メートル個人メドレーで優勝。
これ、今考えると、なぜ勝てたのか分析できます。
例えば、
・ ライバルが少ない種目(ブルーオーシャン)
・ 4種目穴がない(他者と差別化できている)
・ 途中で泳法が変わるから筋持久力がなくても大丈夫な種目(勝負するフィールドを間違えなかった)
と言う感じ。
でも、別に中3の時こんなことを戦略的に考えていた訳じゃなくて、毎日少しずつ早くなろうと思って練習していただけ。
実際、大学生になってからの方が戦略的な思考ができるようになっていたはずなのですが、様々な戦略を考えつつ練習してもさほどタイムも上がらず、何となく個人メドレーもやらなくなり、何となく好きな短距離だけをやるようになりました。
競争戦略って、結果論で考えると結構何でも当てはめられるけど、(本来使うべきシーンである)勝負の前には実は使いにくいものなのかも。
ブルーオーシャンなんてやってみるまでどこにあるか全然わかんないでしょ。「海に使って泳いでいる間に隣にブルーオーシャンが隣にあることに気づいたから移動してきた」くらいならありそうだけど。
息の長い勝負は、やってる間に状況も変わるし、「あらかじめ」「ばっちり」競争戦略を立てるのではなく、修正修正で徐々に勝てるようにしないといけないんでしょうね。
ちなみにですが、戦争は、ばっちり周到な戦略がないとダメだと思います。
競争戦略は嗜好品
楠木建の「好きなようにしてください」。
「競争戦略は嗜好品」って話が面白かった。
巷では
(1) 好きなことで勝負しろ
(2) いや、好きなことで勝負してもダメだ。需要があるかどうかで考えろ。
(3) いや、需要があるだけじゃダメだ。競合他社がいないブルーオーシャンを作り出せ
(4) いや、ブルーオーシャンで勝負しても、すぐ競合他社に飲み込まれる。自分が好きなことじゃなきゃ続かない ( → (1)に戻る)
などなど、競争戦略に関していろんなことが言われています。
でもこう言うのって正解があるわけじゃなくて、
「自分が気に入るものを使えばいい」
「気に入らないものは使わない方がいい」
ってのが著者の主張です。
それが、「競争戦略は嗜好品」の意味。
なるほどね。
いろんなことを考えすぎて自分を見失ったり、逆に自分がやりたいことにこだわって需要のないことをしてしまったり、結局どうしたらいいんだろう?ってことはよく思うけど、こんなの正解はないから、その時その時で納得できるものを使えばいいってことなんだね。
(あとは、戦略は随時修正する必要があるって話もあるのですが、それは次のエントリで)
これ、「こういう考えもある」「ああいう考えもある」ってのに振り回されなくなるヒントになるかも。そんな本でした。
モノを捨てても何とかなるけど・・・
断捨離で、「迷ったら捨てる」の考え方で捨ててみても結構なんとかなる、と言う話あるじゃないですか。
それで、試しに引っ越したあと冬物の段ボール1箱をできるだけあけずに過ごしてみました。
結果、確かに2月の丸々1ヶ月冬物1箱分なしで過ごせたので、この箱丸ごといらないと言う考え方もできるかもしれない。
でも、結構レパートリーは貧弱になった。
「この会、前行ったときも同じ服だったよな?」と言うことが頻繁に出てくる。
というか、本当に洗濯のサイクルがギリギリになってくることがあるので、渋々その同じ服を着ていくシーンも出てくる。
「毎度同じ服着ていてもいいんだ」と言う考え方もあるので、それを採用すればやっぱりこのダンボール一箱いらないとも言えるかもしれない。
でも、レパートリー狭めてまでモノを減らすってのもなー。
当然モノを持っている良さがあるわけですから。
この辺になってくると、
「物がなくなって身軽になる良さ」
「レパートリーが少なくなって服を楽しめない悪さ」
のどっちを取るかが難しくなってくる。
浮世離れモードに入らないとこの先には行けないような気がする。
ということで、私は今は捨てないと言うことにしました。
3月になったけど、この段ボール1箱開けてレパートリーを楽しみます。
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