超節約(及びそれを前提としたFIRE)がどのくらい成り立つのかと思い試したが、少なくとも現時点私には無理っぽい。 その理由の大枠は、先のエントリ(以下エントリの6)に書いた通り。
【Ist/Hel/Tal/Polまとめ03】 Long standing unfinished businessを消せ
旅について書いたつもりだったが、基本的に言いたいことはもう書いてあった。
なので、概要を読みたい方は、上記エントリを読んでいただくほうが、まとまっていて良いかもしれない。
その他のポイントについて詳細を、補足的に順次書きます。
ボリュームが大きくなってきたので、幾つかのエントリに分けるつもりです。まず今回は、読み筋の固定化問題について。
1.読み筋の固定化問題
・ FIREは読み筋をガシガシに固定すること
FIRE一点賭けは、「今見えている読み筋の中で生きていきます」と言う発想。
今見えていない面白いこと(往々にして追加コストがかかる)を見つけたとき飛びつけない。飛び移れない。狭い読み筋一本で行こうとすると、それから外れる物が全部無視したくなってしまう。ギリギリで成り立たせようとすると窮屈。
・ 読み筋への愛着/サンクコスト
読み筋については、羽生善治永世七冠が「長時間検討した読み筋には愛着がわいて捨てられなくなる」「後から無理筋だと気づいても押したくなる」といったことに言及している(この話を昔ブログに書いた記憶あるのだが見つけられなかった・・・なぜ)。
羽生永世七冠は当然将棋の盤面の話をしているのだが、将棋に限らず、自分の読み筋には愛着がわく。簡単には捨てられない。読み筋についてもサンクコスト問題はある。一つの筋を読みまくってしまうこと自体、柔軟性が無くなるリスクがある。一度読んだ読み筋に固執してしまうと、思考が全然発散しない。
・ 世界も自分も読み切れない
そもそも未来は読み切れない。
盤上でさえ(羽生永世七冠でさえ)一度読んだ読み筋が「筋が悪い」ことはある。世界(社会、自然など)も、人間(精神も肉体も)も盤上と比べても無限に複雑なんだから、普通の人間が読み切れるわけが無い。
世界や人間が複雑という理由だけで無く、読み手の思考の限界だって当然ある。ましてや、私を含むほとんどの人間の頭には、羽生永世七冠のような読みの深さ、広さ、精度なんて無いんだから。
私が頑張ってあれこれ読んでいる読み筋が、後から「筋が悪い」と気付くことなんていくらでもある。
せめて自分の読みの筋が悪ければ、読み筋を変える柔軟性は持ちたい。
余談1)
この世界の複雑さ、読み手の頭の精度の理由から、私は未来予測系の本があまり好きでは無い。未来なんて誰にも分かるわけ無いから。
余談2)
頑張ってブログを書いて思考をガシガシ固めてしまうことにもサンクコスト問題があると思い、近年警戒している。例えば昨今頑張って書いた旅行記、これを書かなければ、それはそれで記憶も残らないし、思考が際限なくグラグラのまま。だから書くメリットは間違いなくある。結論としては書いた方がいい。しかしこのような言語化(命題化、法則化、これらに伴う記憶の固定化なども含む)にもサンクコスト問題がある。自分で頑張って言語化したことは愛着が沸いて捨てにくくなってしまう。しかし、自分で一度言語化した後、その後の感覚の変化などで、それが意味を持たなくなることは往々にしてある。「昔書いたこと全然違っていましたわ」とは言いにくいので、過去の思考を肯定するところから考えたくなってしまうが、必要であれば翻す柔軟性も持ちたい。それでこそ一段上のレベルに行けると言うことだと思うので。
今後、過去にこのブログで書いたことと全然違う事を言い出した場合は、私が柔軟に対応した結果だと捉えて頂き、ご容赦頂きたい。
余談3)
読み筋を1つに固定するというのはミニマリズムも似ている。ただミニマリズムはFIREと比べて修正・変更はききやすいのであまりリスクは感じないが。
あと、断捨離をギシギシにやるのも読み筋の固定化。捨てたけど後から「やっぱこれいるわ」ということはいくらでもある。
FIRE、ミニマリズム、断捨離みたいなものは、それを取り巻く一揃いの理論体系がある。しかし、世界は無限に複雑だし、人間の精神は(肉体もだけど)いつも揺れ動いているので、理論体系にハメても何かおかしくなってくる。期間が長くなると特にそう。人間の精神の軸は「ときめくか否か」だけではない。
今回はここまで。
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