本(文字)を読んだら、(書評を書くよりも)アクションにつなげる。
旅行や映像資料などで発想を得たら文字でアウトプットする。
このように、
文字のインプット
→ 文字のアウトプット
とするよりも
文字のインプット
→ 文字以外のアウトプット・アクション
や
文字以外のインプット(=様々な経験・刺激・映画・テレビなど)
→ 文字のアウトプット
とねじらせる方が負担が少ない。
多分、活字を読んで、文章でアウトプットしようとすると、まずは読んだ言葉がそのままが自分の中に入っているので、アウトプットしようとする時もそのまんまの言葉で出てきてしまう。
その時点では、自分の言葉になっていない。
それを変換かけたり熟成させるのに頭を使ったり時間が必要だったりする分、ちょっと負担が大きいのだと思う。
負担が少ないことが長期的に見て良いことかはわからないけど、文字をインプットしてそのままダイレクトに文字でアウトプットするというのはもう十分やってきたからいいだろう。
当たり前だけど、
インプットの形式とアウトプットの形式が同じである必要はない。
様々な形式のインプットをして、様々な形式で吐き出していきたい。
齋藤孝が、「インプットは広げても良いが、アウトプットは一点集中」みたいなことを言っていたけど、そういう時代じゃない気がする。
プロフェッショナルとして通用するアウトプット手段(表現方法)が1つ以上ある必要はあると思うけど。
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