2014年1月26日日曜日

失敗するための余裕は常にあるほうが良い


ジャレッド・ダイアモンドの
「文明崩壊」
「銃・病原菌・鉄」
を立て続けに読みました。
(今年の読書は幸先が良い)

共通して言っていることは、「生きるも死ぬもリソース次第」ということでしょうか。

「農耕も牧畜も、人口を支えるのにギリギリ」という文明はかなり脆弱。
例えば、食料生産が本当にギリギリだと、干ばつ、サイクロン、戦争などが来たらすぐ滅びます。

逆に、ある作物がダメでも、別の作物を食べられるような余裕があれば滅びにくいし、「銃・(病原菌)・鉄」という他国を攻撃するためのリソースまで持てば国は、さらに他国のリソースまで奪うことが出来る。

ポイントは、何かに失敗しても致命傷にならないくらいのリソースの余裕が無いとものすごく危ないということです。


これは文明のことを言っているわけですが、個人にとってもこれは同じ。

例えば、金なんて生活するに足りるだけあれば良いじゃないか、という考えを目にすることもありますが、これは私はどうかと思っています。

不安というのもありますが、「何かに失敗できない」というのが大きな問題です。

人は失敗しながら成長していくもの。
失敗するだけの余裕が無いのは、成長が制限されます。


ということで、退路を断ってギリギリの選択をするというのも粋(いき)かもしれないですが、リソースの余裕が大幅に無くなるような選択というのはリスキーな賭けのような物で、考えものですね。

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