(「神の子どもたちはみな踊る」という短編集を書いたとき)
とにかくこの連作では、三人称で、人物にみんな名前をつけて、各編違う登場人物で、地震という統一テーマで、一週間か二週間で一本書いてやろうと最初に決めてとりかかった。
(村上春樹)
村上春樹は、常に自分の表現の幅を広げることにチャレンジし続ける。その幅を広げていくやり方が面白いです。
村上春樹の主戦場は、長編小説。これは本人も言っています。
しかし、村上春樹は短編も書きます。
短編を一種のエクササイズ・実験場ととらえているのです。
例えば、村上春樹の小説は、一人称(有名な「ぼく」)で書かれていたのですが、村上はこれに表現の限界を感じていました。人物に名前をつけて三人称の小説を書きたいと思っていたのですが、長編でいきなりそれをやるのは難しい。そこで、冒頭に引用した通り、短編で人物に名前を付けて書くトレーニングをします。
こういうことをしたうえで、長編に応用していくのです。
また、シドニーオリンピックの際は、観戦記を書くという使途をとしているのですが、毎日完成稿30枚を書くことに決めて、それを守ったそうです。
自ら、期限・枚数・ルールなどを設定してクリアしていくあたり、まさにトレーニングですね。
さらに、村上は翻訳もします。
これも、表現を身につけるトレーニングになっています。
村上春樹は、書ける時期が来るまで長編小説は書きません。4~5年に一度しか長編小説を書かないのはそのためです。
しかしその間文章を書かないと腕が鈍ってしまう。そこで、小説を書かない時期は、翻訳をすることで文章を書く感が鈍らないようにしつつ、小説家の作品を吸収しているのです。
短編・長編・観戦記・翻訳など、少しずつ違うタイプの仕事をしながら次のレベルに進んでいく。
これはプロフェッショナルを目指すヒントになりますね。
そういえば、私自身もスピーチのトレーニングをしたことで、文章も変わったなあ。
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村上春樹仕事術(1)というタイトルのエントリはないのですが、先日のエントリ
コントロールしない創作 「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです(村上 春樹)」
を(1)にしたいと思います。
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