浜松城 |
登呂遺跡 居住エリアと農耕エリアが当時の位置関係で再現されている |
高床式の祭殿(倉庫ではないらしい) 高床式の倉庫も別にある。 |
居住地の内側 |
住居 掘ると水がしみ出てくる地質なので、竪穴式ではないらしい |
高床式倉庫 |
駿府城 |
<徳川家康の城>
チェックアウト後、Quickに浜松城に行った。
城跡系はあまりツボではないので、一時期は近くを通ってもスルーしていたが、最近は近くを通った時は軽く見ることにした。
結局こういう経験の積み重ねが、その後の人生で地理・歴史などを理解する土台として効いてくると感じるようになったので。
こう考えると、関西に住んでいたとき、多くの城跡をスルーしてきたのは何かもったいなかったな。
<登呂遺跡>
帰りがけ静岡駅で途中下車して登呂遺跡に寄った。静岡にこんなサイトがあったとは知らなかった。
感想・メモは以下。
・ 居住エリアと水田が当時の位置関係で再現されており、弥生時代の原始的な暮らしというのがどういうものか、結構イメージが湧いた。映像資料が残っていない時代のイメージはこういうので補完できる
・ 居住エリアの屋根は合掌構造
・ 登呂は海も近いから海産物も食べていた
・ このあたりは鉄を浸食しやすい地質らしく、登呂遺跡では鉄器があまり見つからず、木の道具ばかり見つかったらしい。当時は中央政府なんてのはないから、同じ弥生時代の中でも使っている道具は集落によって違いがあるってことか。
・ 中学生のころ弥生時代なんて習ってもなにもピンとこなかったが、その後30年の間に、原始社会についての本を読んだり、遺跡なども見たおかげか、「だいたいあれに近い社会なんだろう」と類推できるようになっている(そういう類推には間違いもあるかもしれないわけだが)。日本史(特に江戸時代以前)は昔からピンとこなかったが、別の社会を理解したことで回り込んで少しずつつながってきているかも。
<徳川家康の城2>
静岡駅から徒歩で行ける駿府城跡もさらっと見てきた。
朝に見た浜松城も、この駿府城も、どっちも徳川家康の城と聞いたな。一体どういうことなのか。城跡を見てもよく分からないので、あとで調べておくか。
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