<核としての経験・体験>
ひとしきり旅を終えた後、日本でヨーロッパの歴史本を少し読み直した。
やはり、実際に行った場所は、後から関連する本を読んだ時の感触が違う。
いきなり本を読んでも正直あまりイメージがわかないが、自分が実際行った場所については、その経験・体験が核というかフックになっていろいろ結びつく。
核になる経験と結びつけるように本を読むほうが知識は増える(※1)。
昔から、自分の経験に結びつかない話は全然ピンとこない。文字だけ読んでも記憶にも残らない。(これは大学院に行ったときに特に強く感じた。活字だけ・抽象概念だけでゴリゴリ押していける人も世の中にはたくさんいるものだと感心したが、私はそうではなかった)
私の場合は、優位感覚(※2)の中では、言語感覚は下のほうで身体感覚が上のほうなんだろう(視覚・聴覚も強めだとは思う)。
あとは、どちらかというとSensitive気味の体質・性格なので、そのことからも身体感覚を使ってモノを学ぶほうがいいのだろう。感触の無いものは自分の中に残らない(※3)。
せめて自分の優位感覚を活かす意味でも、意識的に経験・体験を多めにして人生の知見を増やしていきたいと改めて思った。これが人生後半の方向性の一つかもしれない。
こう考えると、旅するテンション落ちた状態でもタスクとして割り切ってもっと周っておくのもありだったかもしれないと少し思っている。
その場では楽しめなかったとしても、後になって知識と結びついてくるという意味ではきっと投資効果はあっただろう。
目の前の現実を楽しむのが下手というのは私の長年の課題ではあるが、こんなのは性格の問題でもあるのでそうそう変えられないからな。楽しめるかどうかを基準にしたいと思いつつもそれだけだと時々行き詰る。
<自力度>
なお、旅に関しては、自力度を上げるほうがより自分の経験に組み込めると感じた。
これまで周遊パッケージツアーにも何度か乗ったことがあるが、それだと観光スポット以外があまり記憶に残らない。
自分で手配した旅行は、それとは比べ物にならないレベルで自分の中に残る。
ツアーと比べると、自己手配は細かい失敗の連続なのだが、「失敗=フィードバック」ともいえるわけで、自分の経験になるのだろう。
事前に地理や物価を調べて行先から外す、予約システムがエラーを起して困る、混んでいて座席が見つからない、みたいなのも含めたら細かい非効率・失敗は数えきれない。しかしこういう一見無駄に見えることも含めて旅の記憶に結びつくから、自分の中に残りやすいのでは。
自分の時給を考えると、旅行のロジは旅行会社に外注するほうがコスパは良いようだが、それはパフォーマンスを「旅行を成り立たせる」ことだけだと捉えた場合。後々自分の中に残る経験もパフォーマンスの一部ととらえたら、自力度を上げるのもありだと思った。
もっとも、これもある程度慣れてきたらどうでもよくなる可能性はあるが。
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※1)
本だけでなく、映画・ドキュメンタリーなどの映像資料なども同様。
行ったことある場所の映画を見るのは良いという話は以前も書いてあった。9年も前だったか。
※2)
人は、視覚、聴覚、身体感覚、言語感覚の強さにおいて凹凸があって全てが一様の感度を持っているわけではない、という話。
※3)
近年、山、旅、料理、絵のようにアナログなものを楽しく感じたのも、感触が自分の中に残るからかもしれない。
アナログなことが楽しくなってきた話。4年前。
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追記)
全体的に近い問題意識で書いた記事はこちら。12年も前だったか。
昔から、似たようなことを少しずつ形を変えながら考えている。
このテーマは、「だから何なのか」もうさらに掘り下げたいところ。
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