シンガポール水泳世界選手権2025の感想を、ごく簡単に書いておきます。
1.映え志向もここまで来たか USチーム、シンガポールに乗り込む前にプーケットで合宿してる。 国際大会の直前にチームとして第三国で合宿するというのにまず少し驚いた。まあシンガポールに十分な調整環境が無いのかもしれないので、そこまでは一旦おいとくとして、次に気になったのは大会前にプーケットで映え写真撮りまくってInstagram載せてること。大会前に少し緊張感を抜いて楽しむみたいな目的ならわかるけど、度が過ぎているような。象と一緒に写真撮るとか、砂浜を裸足で歩くとか、ファイアーバーを回すとか、余計なリスク取ってるように見えるし、とてもパフォーマンス向上を意識している活動には見えない。アメリカ人にとってのソーシャルネットワーク活動・映えの重要性がここまで来ているということなのか。 ちなみに、帰りがけもハワイで映え写真上げまくっていた。なんかすごいね。 世界一になって、世界記録を出してもなお、映えは映えで必要ってことなのか。
2.関係性が目標の立て方に響く(のでは) 池江選手の事前インタビューを後から見たが、大会前の時点で世界ランキング3位に入っているわけでもないし、世界選手権でメダルを取ったことあるわけでもないのに、「メダルを必ず取る」「しっかりメダルを取る」といった言いぶりをしているのが今見るとなんか違和感ある。ご本人が立てた目標であれば私のような者がどうこう言うことではないが、周りのプレッシャーが、目標の立て方、さらには自分に対する期待感に響いていないか(あくまで状況から想像しているだけだが)。
よく登山や冒険の世界で、周りとの関係性やプレッシャーなどにより目標が実力から乖離していく(登山や冒険の場合はそれが死につながる)という話が出てくるが、メジャースポーツの世界でも(※1)「周りとの関係性等から、目標が実力から乖離していく」のはあるのでは。死にはつながらないとしても。
※1)もっと言えば仕事とかにおいてもある。少し広く捉えると、他者への説明を考えたり、他者に説明している間に、やっていることと内面が乖離してきて、元々何がしたかったのかわからなくなるのと同じ構造な気がする。
3.「テンション=感動」ではない 日本のTV放送の解説実況の一部(人による)、うるさくて聞いていて疲れた。叫ばなきゃいけないことにでもなってるのかいな。普通ににテンションが上がっているならいいけど、無理やりテンション上げてないか。一昔前の水泳の放送はこんなじゃなかったよな。
これだったらオーストラリアの放送局でA.ティットマス氏、I.ソープ氏の解説で見たい。現地レポーターC.キャンベル氏も無理やり感情を煽ってこないし。みんなテンションは普通だけど、高レースや好記録が出た時の感動は伝わってくるよ。
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